ニコニコ動画に関する都市伝説7個

ニコニコ動画はドラマだ

こんにちは!けろりーん@’^’@

タイトル通りです!
YouTube
初☆動画投稿致しました!

いええええーい!
(*’ω’ノノ゙☆パチパチカナヘイきらきら

先日、8月末くらいに
UPしたのですが、
なかなかその作業が
難しかった……
(パソコンや機械苦手)

2本動画UPしたのですが、
半日かかってしまいました(笑)

変換したり切り取ったりする
動画のソフトを使って
なんとか出来ました……!

いままでずーっと
YouTubeに動画投稿
したかったのですが、
難しくてわからない!
私には出来ない!
と、逃げて諦めていたので……

でも、それじゃー
いつまでたっても
進めないと思って頑張りましたよ!

人に聞いてやったり、
やってもらったりするのは
簡単だけど、
それでは意味がなくて。

自分の力で出来たのは
すごい達成感でしたね!

と、前置きが長くなりましたが!
こちらがその動画になります!

↑ここから飛べます☆

YouTubeさんより。

先日8/13ワンマンライブから。
会場は秋葉原秋田犬様。

はちこうくんとコラボで
歌わせて頂いた
just be friends piano verです。

はちこうくんめっちゃイケボ!
コーラス入って下さり
ありがとうございました!

↑ここから飛べます☆

YouTubeさんより。

こちらも8/13ワンマンライブから。
ハルのソロステージになります。

いつも歌わせて頂いている
譜歌とカルマpiano verです。
大好きなテイルズ オブ ジ アビスより。

動画投稿してから
2週間ほどなのですが、
再生回数が100回を越えました!
ありがとうございます!
(((o(*゚∀゚*)o)))カナヘイきらきら

ぜひ、見て頂けると嬉しいです!
よろしくお願い致します☆☆

次はニコニコ動画への投稿を
考えております!

ではでは@’^’@

ニコニコ動画についてオタク100人に訊いてみた

2017年4月8日 追記

こちらの記事は間違っていました。

今度こそ本当にほならね理論を論破できたと思うので該当記事のリンクを下に貼っておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事はいずれ削除か非公開にするかもしれません。

ご理解ください。

 

 

 

 

 

 

このブログ初めてのエントリーでこんなこと()言っちゃったけど、やっぱりできましたわ、論破。

 

 

 

ヒントはsyamuさん自身が教えてくれたよ。

まずは下のツイートを見てほしい。

 

Mon Jul 21 10:56:50 +0000 2014
@pi************* 下手でも、ゲームを楽しめていれば、それでいいんだよ。
湾岸の動画で、コメが荒れているのをよく見るが、あれもおかしい話だ。
そいつより上手いなら、動画出せって話だ。見ていて痛い時がある。

(本人のアカウントはすでに削除されているのでwikiから抜粋させてもらった)

 

 

賢明な本ブログの読者諸君ならすぐ気づいたであろう。彼はここでもほならね理論を駆使しているのである。

そしてこの事実こそ今回のキーになるものだったのだ。

 

そもそも順平氏は、かねてから自身の湾岸ミッドナイト動画に付く「下手くそ」「もう投稿しなくていいよ」といった心無いコメントに胸を痛めていた。

そこで他人の湾岸動画に書かれたコメも含め、ニコニコの民度に苦言を呈したというわけだ。

(プレイを批判されているのは自分だけではないと思い込みたい土竜の防衛本能にもとれるが)

そのためツイートの要旨は例の「ほならね発言」の時とほぼ一致する。

だが、一つ決定的な違いがある。

それはゲームだということ。

 

そう、このほならねは「サムネの面白さ」ではなく「プレイの上手い下手」を対象にしている。

 

はじめこのツイートを見かけた時は、またいつもの土竜の妄言か…程度にしか考えていなかったが、ふとした瞬間、私に電流走る…!!

それはまさしく地面に落ちるリンゴを目撃する瞬間のニュートンにも匹敵していた。

 

 

もったいぶってもしょうがないので結論を先に言う。

湾岸ミッドナイト「下手くそ」に対する「動画を出せ」は反論になっているが、「サムネがつまらない」における「ほならね、自分が作ってみろって話でしょ」という返しは、反論になっていない。

順を追って説明していこう。

 

まず、ゲームプレイへの批判に対するほならね理論はなぜ、反論になっているか。

それはゲームという存在が客観的に優劣の判断が可能な物だからである。

スコア、タイム、クリア成功か失敗か、なんでもいいがゲームに数字は付き物だ。

RPGとかになるとわかりづらいものの、それでも受けるダメージ量だったり、かかるターン数の多寡、アイテムの消耗の有無など比較対象はいくらでもある。

 

それが湾岸ミッドナイトのようなレーシングゲームならこれはもう確実

ゴールタイムだけ比べれば済むのだから。

他にもドリフトだとかニアミスだとかのテクニックもあるだろうが、これもそのゲームをプレイしたことがある人間なら白黒つけるのは容易い。

ゲームとはそういうものだ。

 

シャムの反論は理屈の上では間違っていない。

賛否両論あるだろうが、ゲームプレイという「技術」を正当に評価するには本人も同分野の知識・経験を持っていなければならない、とする意見は間違いではないだろう。

完全未プレイのゲーム動画を観たとして、プレイヤーの上手い下手が簡単にわかるだろうか?

「全然回避しねえなこいつ」と思っていたら実はそのゲームに回避アクションがついていなかった、というのは有り得る話。

つまり人の技術を批評するにはある程度の資格が必要ということだ。

そして「ゲームが相手より上手い」というアンチ側の技術の証明は簡単に立証可能であり、それを要求するシャムは(プレイ動画を投稿した立場ならば当然罵倒コメントもまた覚悟すべきであること、どこの馬の骨ともわからない人間に毎度毎度ご丁寧に怒り狂うその幼稚さ、自分への罵倒など本来絶対にあり得ないと信じ込む根拠絶無のナルシシズムに目をつぶれば)筋が通っている。

 

すなわちそのまま反論なければシャムの勝ち、アンチからの反論あればシャムの負けということになる(シャムよりタイムの短いプレイ動画をうぴーしなければ反証にならないのだから)。

 

なので万が一浜崎順平氏を真正面から否定したいのならば、彼より上手なプレイ動画を叩きつければそれで済む。

もしくはオフ会に参加し、思う存分直接対戦でコテンパンにすればいい。

 

そうすればいかに超大物Youtuberといえど”アンチ”の「下手くそ」「もう投稿しなくていいよ」「死ね」等の手厳しい批判の数々も受け入れざるを得ない。

 

 

だが一方で、(画面の向こうの人間に自分よりゲームが上手いことを証明しろと恥ずかしげもなく抜かすことは投稿者の姿勢として問題があるにせよ)意外にもこの時のシャムはある種の正論を述べており、「下手くそ」に対するきちんとした反論になっている。

つまりこの場合のほならね理論は、反論のみで
論破不能であり、くつがえすには相手の言う通りに”お手本”を見せなければならない。

(ニコニコ問わずゲーム系の動画なら必ずと言っていいほどこうした「上級者様※」が湧くのだが、その良し悪しについてはテーマからずれるので今回は考えなかった)

※頭ごなしに批判する本人はさぞ上手いのだろうという皮肉をこめた蔑称

 

 

 

では「サムネがつまらない」に対するほならね理論はどうだろうか。

これはゲームの時と似ているようで全然違う。

 

まず第一に、こちらの場合面白い・つまらないを判断する基準が存在しないことが挙げられる。

 

 

突然だが、私はお笑い芸人のハライチで一度も笑ったことがない。

面白いつまらないというか、ハライチを面白いと思う人間の考えが理解できないレベル。

私の周りでも面白いと言っている人間はほとんどいない。

 

しかし彼ら(といってもテレビに出ているのはほぼ一人だが)はバラエティーに引っ張りだこである。

それはつまり私ではない誰かにとっては腹を抱えるほど面白く、ニーズがあるということだ。

syamuさんのサムネイルもこれと同じである。

 

面白いかどうかはただの感情であり、それこそ人の数だけ基準があると言ってよい。

そしてゲームプレイの批評とは異なり、ただの感想なのだから面白い・つまらないの判断に資格は必要がないはずだ。

私がハライチに思っていることと同様、「サムネがつまらない」と書いたアンチの彼にとってはそう感じたことこそが唯一の真理であり、素直な心の声なのである。

 

 

第二に、サムネは誰にとって面白いものでなければならないのか、はっきりしていないのである。

まずはゲームの話との比較してみよう。

ゲーム版ほならねの場合、基準も比較対象も、誰を納得させればよいのかもはっきりしている。

基準はゲームスコアの優劣であり、比較対象もsyamuとアンチであり、syamuを納得させればよいと明快だ。

納得したくなくても数字を見るだけで、だれの目にも勝敗は明らかとなる。

 

これがサムネ版ほならね(本家ほならね理論)ではどうか。

syamu対アンチという比較対象の構図は同一だが、残る2点には大きな差異がある。「どんなサムネが面白いか」という基準を定めることができないというのは上に書いた通りだ。

次の問題は誰を納得させるか、つまり最終的な判断は一体だれが下すのかということである。

 

一見syamuに「アンチが作ったサムネの方が面白い」と言わせれば万事解決するようにも思えるが、これは違う。

そもそも面白いかどうかの基準となるべきは「つまらない」コメの彼である。

syamuとアンチコメの彼が思考・嗜好を完全に一致させるには同一人物になるしかないが、そんなことは物理的に不可能だ(なりたくもないだろうが)。

さらに言えば、サムネイルの性質的なことを考えると、少なくともズンペイにとって面白いかどうかは何の意味もないことがわかる。

サムネイルは動画の内容を簡潔に伝え、他者の動画と差別化をはかり、クリックを誘引して再生させるためのもの。

すなわちサムネの対象者はsyamuでなく新規の視聴者さんなのである。

なのでガイジ一人を納得させたところで何の解決にもならない。

 

ではアンチが自分でsyamu動画のサムネを作り、自分で納得すれば解決するのか?

ここで私がハライチを貶したことを思い出してほしい。

仮にこのエントリーを読んだハライチのお二人の逆鱗に触れ、私が「つまらないというならお前がやってみろ」と言われたとしよう。

あり得ないことだが私が芸能界にデビューを果たし、より面白い漫才を完璧にこなし、大人気になったとする。

しかしそこに存在するのは”彼らより面白いピン芸人”たる「私」。

言われた通りにしたところで、ハライチ本人の芸自体は私にとって何の変化もなく、したがってつまらないままなのである。

 

同様にアンチが毎回シャムさんにサムネイルを提供したとして何も問題は解決していない。

その根底にあるのはサムネがつまらないと言われたシャム側の不満だからだ。

順平の目的は「自分が作れ」と無理難題を押しつけ、コメントを撤回させることにある。

そこに動画作りのプロが登場とあっては意味がない。

アンチが自家消費したところで、彼にとっての”シャムネ”はつまらないままなのである。

 

 

では本来のサムネの対象者である新規視聴者、つまり第三者の立場からではどうか。

まずこの場合も、「つまらない」と判断したはずのアンチコメの彼を無視することになるのが問題だ。

また新規リスナーという不特定多数においては、個々人の基準が異なるため「面白さ」の統一はおおよそ不可能(これは既に上で解説した)。

それでもYoutubeは再生回数や登録者数など数字に現れるじゃないか!と反論する人がいるかもしれない。これは一見もっともに聞こえる。

では仮にサムネを改良した次の動画で再生回数が増加したとしよう。

それは本当にサムネが面白くなったからだろうか?

ホモガキがちょうどその時期にシャムをネタにし始めたからかもしれないし、たまたま題材が良くてバズっただけかもしれない(伝説のオフ会0人報告やカツカレーチャーハン等)。

そもそも動画の主役はサムネイルではなく動画内容だ。サムネが糞のままでも内容が評価されることだってなくはない。

まとめアフィにその動画だけ無断転載され、晒されて
いたということもあり得るだろう。

客観的に見え、かつ勝敗の拠り所になりそうなYoutube上の数字にしても、不確定要素が多すぎて「サムネ効果」による数字かどうかなんてわかりっこないのだ。

 

以上からサムネの話の場合、3つの視点のどれを取っても納得させるべき相手としては問題あることがわかってもらえたと思う。

そうなると、面白いという定義が定まらず、全員を納得させることもできないサムネは果たして作る意味があるのだろうか?

 

 

随分長くなってしまったのでここで一旦整理しよう。

まずゲームについては

「下手くそというなら批判相手より上手いことを証明しろ、そのための動画を出せ」

である。極論だが簡潔にして正論だ。

この場合「誰にとっても」両者間の上手い下手は、ゲームスコアという「数字」が客観性を担保しているので明らか。そして上手い下手の判断にはある程度の知識が必要だ。なのでゲームスコアという「優劣の判断材料」が含まれ、「批判するための資格」の証明にもなる「動画を出せ」と要求する行為は正当といえる

それがサムネイルでは

「つまらないというなら批判相手より面白いことを証明しろ、そのために自分が作ってみろ」

という書き方になるわけだが、「誰にとって」シャムネより面白いのかがはっきりしない。そして「面白い」という概念に普遍性がないために客観性を担保するものが存在できない。また「つまらない」というのは感想であり、それを述べることに資格は必要がない。よって「面白さ」「批判資格」どちらの証明にもならず、「サムネイルを作れ!」という要求は筋が通らない。

 

 

少し補足をさせてほしい。

「下手くそというなら批判相手より上手いことを証明しろ」「つまらないというなら批判相手より面白いことを証明しろ」と書いたが、思い返せばシャムさんは、ニュアンスにとどめただけで「俺より面白いと証明しろ」なんて一回も言っていない。

だがこの言葉を補完することは上記の論を導くために有ると無いのとでは大違いである。

・いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?

・「つまんない」とか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、だと思いますけどね?

太字で強調したところを標準語に直せば「それなら」となり、含意を補完すると「俺より面白いなら」となる

肝心なところがふわふわとした表現にとどまっているため真意を掴みにくく、我々は今まで後半の「自分で作れ」のみを取り上げて反論を考えていたように思う。

(まさか理論(?)の名前にもなっている「ほならね」自体が論破の障害になっていたとはね…)

いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?

特にこれが問題で、補完後には以下のようになる。

いやー俺に対して「つまらない」とか言っちゃうこと、つまりお前の方が面白いということならね、自分が作ってみろって話でしょ?

だいぶわかりやすくなった。

 

ここで改めて、上で考えた「面白さ」概念の客観性がないこと審査対象の固定が不能だということを加味すれば、後半の「お前が作れ」は前半部分の「お前の方が面白いなら」の根拠足りえないので話が繋がっていないことがわかる。

正しい日本語でさえないのだから正論とはいえず、したがって反論の体をなさない。

 

そう、そうなのだ。

ゲームの話では前半と後半が繋がっているが、サムネの話では話の前半と後半が繋がっていないのである。

よってアンチが反論サムネイルを作る意味はない。

 

 

 

 

え?まだ意味不明だって?ほならね、ハライチに例えてみろって話でしょ?

<A>

私「ハライチはつまらない」

ハ「はあ?一般人風情が偉そうに。お前のほうが面白いっていうなら俺らを爆笑させてみろ!

<B>

私「ハライチはつまらない」

ハ「はあ?一般人風情が偉そうに。お前のほうが面白いっていうならお前も漫才コンビを結成してみろ!

いかがだろうか。

<A>の場合は青い部分赤い部分の話が繋がっていることがわかるだろう。

私がハライチを笑わせることによって、ハライチ側が彼らよりも面白いことを認めてくれると言っている。

つまり爆笑させてみろの言葉が、「誰に」「何をすれば」「勝負がつくのか」を明示しており、それを実行することによって私の方が面白いという根拠になる。

正しい条件を設定し、それを達成する。だから笑わせた時点でハライチのお二人は私の方が面白いとみなさなければいけないことになる。

「面白いかどうか」というフワフワした論争に、両者の間では一応の決着がつくのだ。

始めに見た「ゲームが上手いというなら動画を出せ」も全く同じだ。

前後の文が正しく繋がっており、動
をアップした時点で「確かにアンチよりシャムはこのゲームが下手くそだ」という結論が導かれることになる。

 

 

比べて<B>はどうだろう。

<A>の「爆笑させてみろ」と比較して「お前も漫才コンビを結成してみろ」は意味不明じゃないだろうか?

お前も漫才コンビを結成してみろという言葉に、「誰に」「何をすれば」「勝負がつくのか」のうち「何をすれば」以外の要素が欠如しており、実行したとしても面白いことの根拠にならない

「何をすれば」だけだと「何々をしろ」であるから、ありとあらゆる事柄が入ってしまう。

お前の方が面白いというなら東大に合格してみろ

お前の方が面白いというなら車を運転してみろ

意味不明だがこういうことだ。

要は根拠にならないものを根拠としてあげろと要求している形になり、これでは青い部分赤い部分の話が繋がるはずがないのである。

 

貝塚勃起土竜のサムネを作ってみろというのは完全に<B>のパターンである。

「誰に」とって面白いものを?syamu?アンチ?その他のリスナー?

審査対象の固定不能

どうなれば面白いと「勝負がつく」?syamu?アンチ?その他のリスナーが認めたら?

→「面白さ」概念に客観性がないこと

結局、要求通りにサムネを作ってみても面白さの根拠にはならず、論争の決着はつかない。「だからなんなんだ?」という話になる。

ハライチの場合なら「芸能人デビューした私」、ほならね理論の場合なら「自称・シャムより面白いサムネを作る人」が出来上がるだけで、争う原因となっている物事(つまりハライチやシャムがつまらないのかという問題)にはなんら影響を及ぼさないのだ。

行動の前提条件である日本語からして間違っているため、結果もまた意味不明になる。

 

だから極論を言ってしまえば、ほならねの後に続く語が「平壌郊外で踊ってみろって話でしょ?」「パルムを食べてみろって話でしょ?」「実の父親から業人呼ばわりされてみろって話でしょ?」でもなんでも良いのだ。

どうせ意味不明なことは同じなのだから。

 

もうおわかりだろう。

<根拠にならないものを根拠としてあげろ>

サムネ論争における「ほならね理論」の一番の問題点はこれを要求していることにあり、今まで正論だと思いつつもなぜか釈然としなかったのはこの誤りに気づかなかったからだ。

 

話の骨子である前半部は関西弁だか広島弁だか知らないがほならね~という曖昧な言葉で靄に包まれ、更にグダグダと長い「お話」で薄められ、完全に覆い隠されていた。

理論の名前にもなった「ほならね~」が”なにやらそれっぽく聞こえる”ので我々は無意識のうちに極論だが正論であると思い込んでしまっていたのだ。

そこでむやみに後半部の「お前が作ってみろ」という部分だけが強調され続け、前後の繋がりさえわからなくなっていた。

 

そのため、まずはそれら障害の除去が必要だった。

数多くの先達が論破を試みて失敗してきたのは、これらのベールに幾重にも覆われているまま話を進めてしまったからだと感じる。

なんのことはない、曖昧な表現と無駄に長いお話が生み出した、屁理屈にも反論にもなっていない意味不明な言葉の羅列だったのである。

 

よって「サムネがつまらない」に対する「ほならね、お前がやってみろって話でしょ?」は、”それならアンチはもっと面白いのか”という質問の根拠としてsyamuが正しいものを要求していないので反論になっていない。

はい、論破。

 

 

 

 

 

 

 

 

…ま、30代無職の屁理屈に取り合ってる時点で私の負けなんですけどね、初見さん…。

持たざる者ってつえーわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

え?全然すっきりしないって?

 

いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね 。 こっちは、こっちはみんなを楽しませるためにブログを…作っているわけでして、 
やっぱり、前はちょっと記事シンプルだったのですが、 
いや…ちょっと記事やっぱ凝った記事がいいかなーと思って 
まあブログ作り始めたわけですけども。 
そんな、「論破になってない」とか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、だと思いますけどね?ええ。 
結構ー…ブログ書くのは大変だと思いますよ。文章の構成、から考えなあかんし。 
「論破してない」と言うんだったら自分が作ってみろ!っていう話でしょ?私はそう言いたい。うん。 
こっちは楽しんでやってるわけですから、そんな「つまんない」とか言われちゃったら 
じゃあ自分がやってみれば!という話だと思いますけ
どね?ええ私はそう言いたいですけど。 
ちょっとそういうことがありました。 

ちょっと『のびハザ』のね、えー『怖くない』パート5・・・まあ完結パート、 
『のびハザ怖くない』の完結パートで「サムネがつまらない」というコメントがあったんで 
ちょっと、えーその話題に触れてみました。

いやいやそもそもYouTuberってのは、楽しんでやってると思うんですよねー。はい。 
目的はそれぞれ違うと思います。ただ単に趣味でやってる人もおれば、 
えーまたま、または仕事でYouTube…YouTuberをやってる人もいるし。ええ。 
まああとは目的もなく…まった~りとYouTuberやってる人もおるし、 
まあそれ、人は、それぞれ、人それぞれだと思います。 
んで、ほんでーまあコメントとかで「つまんない」とかいうコメント…があれば、 
その人に対して失礼やと思うしな、やっぱ。 
やっぱり、みんなYouTuberは楽しんでやってると思うし、 
まあ中には、ちょっとー…楽しみでない人もおると思うし、 
まあそんな人でもやっぱり「つまんない」とかいうコメントがあると 
やっぱり…へこむと思いますし。うん。 

コメントを打つときはやっぱアレやな、人の気持ちを考えて打たなあかんと思うわ。 
それもコミュニケーションの一種やと思うし。 
ただでさえ顔が見えないのに…まあ俺は投稿者やから顔が見えるけども、 
まあ相手も、相手は顔が見えんからなー、ちょっと…調子に乗ってるという部分があるかもしれないね?うん。 
ネット…ネットの、そこがネットの怖いところやからな。相手の顔が見えないというところが怖いところやからな。 
せやから、まあ最近で言ったらLINEで…LINE関係で殺人事件がありましたけども、 
そういうことがやっぱり起きちゃうと思うんですよ。ネットの怖さ…ネットの怖さで。うん。 
チャットでも、相手の顔はまったく見えずに文字のやりとりをしている訳ですから 
これはある意味怖いですよね。Skypeもそうですけど。 
SkypeとかLINE。まあ私はLINEやったことありませんけども一度も。スマホ持ってないから。 
いやSkypeやっとことあるんですけど、いやー例えば会議とかでさ、知らん人?とかいますやんか。 

ちょっとそれも怖いですよね、知らん人と話をするというのも。ええ。まあ、声だけですからね。 
まあこの、ウェブカメラを使えば、あー映像、も共有することもできますけど、 
知らん、知らない人にね、映像…自分の顔見られるっていうのもなんか怖いですよねそれも、怖い。 
せやからもうちょっと…なんて言うん、 
コメントするときはもうちょっと…相手の気持ちを考えて、からコメントをした方がいいかなーと思います。はい。 
いやそういうコメントがあったから…まあホントは、スルーしようと思ったんですけど 
その話題には触れないでおこうかなーと思ったんですけど 
やっぱり、ちょっと…みんなに話しておこうかなーと思い、えー話しました。ええ。

まあー、私のチャンネルの視聴者は10代が多いですけども、 
彼らが社会に出て…えー…まあその…なんて言うん、 
例えば相手の気持ちも考えずにコメントとかしちゃうと、 
でその人が社会に出たときに、あだっ、仇となるわけですよね。仇となる。 
その…その常識すら知らずが、仇となるわけですから。はい。 
まあ、私はそういうことが言いたいんですよ。はい。 

もうちょっと…いや、まあまあ最近は、まあ私のチャンネルは荒らしが少なくなりましたけども。ええ。 
やっぱり…まあまあその荒らしさんとも仲良くやりたいですけどもね?できれば。難しいとこですけど、も。 
やっぱりコメントするときはやっぱり相手の気持ちを考えてコメントした方がいいと思います。はい。 
俺が嫌やからさ俺がそんな「つまんない」とかいうコメントがあったら嫌やから 
もちろん、そのコメントした本人も嫌に決まってるがな。そんな。 
人…人にされて、人にされて嫌なことはもちろん、自分も嫌に決まってますよね?ええ。 
やからもうちょっと考えていこうや。もうちょっと考えていこう。ええ。 
まあー、彼は…まあその人はその人がじゅ、社会に出て、困る…っちゃあ困るやろうけど。 
もうちょっと、もーちょっと考えなあかんなーと思うわ。うん。 

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