スバルがアメリカ人に大人気
スバル、口コミのその評判やいかに!
(2014年9月撮影のストリートビューより、富山県魚津市の有名な廃墟であり心霊スポットともいわれるホテル坪野跡<通称・坪野鉱泉>。「魚津のお化け屋敷に行く」・・・氷見市在住の19歳2女性がその言葉とともに夜、車で出たまま忽然と姿を消したのは、21年前のちょうど今頃の時期だったという。)
———-
この事件はある意味では稀有な事件で、
どう稀有かというと—こういう言い方もあれですが—
未解決事件マニア、廃墟マニア、心霊スポットマニア、
これらの人々の意識の流れを川の流れに例えると、
ちょうど3本の川の流れの合流地点にあるのがこの坪野鉱泉の事件ということで、
さらに言えばこの3本の流れに、
某国による拉致事件を追っている方々や、
事件現場探訪マニアの方々、
ニコ動ようつべなどの動画投稿マニア、
ただのやじ馬の方々なども加えると
3本どころか6本とか7本の川の流れの合流点にあるのかもしれず、
こういう事件も他にあまり例がないような気がするなと。
それだけに関連サイトや動画も多く、改めて見てみると、
その内容の充実ぶりに圧倒されてしまうようなものもあると。
中には、どういうご事情かの詮索はしないとしても、
何か執念でこの事件を追っておられる様子のサイトも見受けられるということで、
当方的には今さら何か新たな事実や見方を提示などできるはずもなく、
ここは事件に関係する(と思われる)場所の位置関係などを淡々と整理しながら、
妄想は控え、概要の紹介にとどめてみようと思います。
———-
■ 事件のあらまし
この事件を執念で追っておられるとみられるサイト「富山県民話財団」様が掘り起こした1997年5月の記事によると、
”昨年(1996年)5月5日、「肝試しに行く」と乗用車で家を出た氷見市内の19歳(当時)の女性二人が、忽然と姿を消した。二人は同日深夜、ポケットベルで、「魚津市にいる」といううメッセージを友人に送った後、連絡が途絶えた。
魚津市の山中には、「肝試しの場所」として週刊誌ても取り上げられ、暴走族らのたまり場となっている廃墟と化した元温泉旅館跡があり、二人はそこに向かった可能性が強い。
行万不明になっているのは、氷見市内の会社員A子さんと、元スーパー店員B子さんの二人。
当時いずれも19歳で、同市内の県立高校同級生。
これまでの県警、氷見、魚津署の調べによると、二人は、昨年(1996年)5月5日午後9時ごろ、家族に「魚津へ肝試しに行く」と告げて、B子さんの車で氷見市を出発した。
途中、やはり若者のたまり場所となっている新湊市の海王丸パークに立ち寄り、友人に会っている。
さらに同日午後10時過ぎ、二人が乗ったB子さんの車が、富山市と滑川市の市境の国道8号線を魚津へ向かって走っているのが、確認されている。”
(富山よみうり97.5.4)
とのこと。
2017年4月末現在、
本人達のみならず車も発見されておらず、未解決のまま。
上の記事で、二人が肝試しに向かったとみられる、
「魚津市の山中の、廃墟と化した元温泉旅館跡」
というのが、
魚津市坪野地区にある問題の廃墟、「ホテル坪野」跡。
「ホテル坪野」は1970年代の一時期にぎわった様子も見られるものの、
1982年に倒産し(倒産時期には諸説ある)、
しかしながら建物は撤去されず放置される中で
暴走族などのたまり場となり、
壁は落書きされガラスは割られ、
いたるところが破壊されて廃墟となっている。
(倒産後の1985年と1990年の2度にわたって不審火も起きている。2007年刊行の『ニッポンの廃墟』において、北陸随一の肝試しスポットに挙げられている。)
坪野鉱泉のウィキペディア
————-
2女性が失踪した1996年のカレンダーを見てみる。
5月5日は日曜日、
翌日6日も休日だったと。
(失踪した二人が仕事休みだったかどうかは不明)
———-
1996年の日本の出来事、世相など(ウィキペディア)
———-
1996年5月5日~6日にかけての
富山県魚津市の気象データ。
5日の夜から6日明け方あたりの気温は10℃前後、
雨などはなかった模様。
———-
位置関係、二人が向かったとみられている
「坪野鉱泉@富山県魚津市坪野」の位置は以下(赤ピンの先)。
少し寄ってみる。
赤ピンの先が坪野鉱泉。
画像向かって左側、水色の〇あたりに、車を出したB子さんの実家あり。
(B子さんの実家と坪野鉱泉の距離は、直線でおよそ50km)
富山湾沿いの市を赤い四角で囲んでいるのは、
市名を見やすくするためのもので、他意はないです。
坪野鉱泉(赤ピンの先)あたりをもう少しクローズアップ。
魚津市街地や滑川市街地との位置関係を確認いただければと。
さらに拡大すると、
画像向かって右手に坪野地区。
ネットでは34世帯と紹介されているが・・・。
さらに拡大。水色の枠で囲んだあたりが、
かつての(8階建てとされる)温泉旅館とその敷地。
同じ場
所の、1996年9月24日、
失踪事件の約140日後に空撮された画像は、
96年のほうがまだ建物周辺に通路が見えている分、
荒れ方はマシということだろうか。
ちなみに1975年と76年の画像がこれなので、
96年の状態は今と比べればマシとは言え、
かつて賑わいを見せたころと比べれば
やはり「見る影もない」ということかと。
坪野鉱泉少し上の路上から富山湾を望む。
(ストリートビューより)
富山湾側から坪野鉱泉あたりを眺めてみると、
白矢印の先が坪野鉱泉。
山奥というほどでもないが、背後には立山連峰が迫っており、
道に迷って奥に入り込んでしまうと
大変なことになりそうな雰囲気ではある。
———-
■ その他、事件にまつわる事実や感想など
■ この行方不明事件は公開捜査されていない。
「二人が今年(1997年)3月で20歳になったこともあり、県警では”尋ね人”として、警察署内の限定付きではあるが、二人の特徴などを示したパンフレットを作り、”準公開捜査”に踏み切った。しかし、有力情報は今のところない。」(1997年5月5日、富山よみうり)
97年3月に二人ともが20歳になったとの事実から察すれば、
行方不明になった1996年5月5日は、二人にとって高校卒業後、
社会人2年目が始まってすぐの頃だったのかと思われる。
また、記事中の「準公開捜査」という言葉について、
聞きなれない言葉につきググってみたがウィキなどはなく、
参考になるようなサイトもなく、よくわからなかった。
上の記事には「警察署内の限定付きで~準公開捜査に踏み切った」とあるので、
この事件でいう「準公開捜査」とは、「氷見市の19歳2女性が行方不明になっている」という事実や
失踪時の大まかな状況のみを一般に公開して情報を募り、
その一方で、二人の住所氏名や顔写真などを含めた詳細な情報については
交番や駐在所を含めたその地域の警察署内に限定配布するにとどめたということだろうか?
とも思うが、よくわからない。
■ 準公開捜査の開始を受けて、1997年5月4日と5日に読売新聞北陸支社版17面「富山よみうり」が
この行方不明事件について記事化したのが最初の報道だったとのこと。(富山県民話財団様)
行方不明になっている2女性の特徴は、
■ A子さん(当時19)は身長153cm、左利き、八重歯、鼻の横に水ぼうそう跡。
失踪当日の服装は、白のブラウス、黒字に白の縦じまのミニスカート、黒のカジュアルシューズ。
職業は「(氷見市内の)会社員」。(97年5月5日、富山よみうり)
■ B子さん(当時19)は身長167cm、髪は茶髪。
失踪当日の服装は、黒のTシャツ、うぐいす色の綿パン、黒の革靴。
職業については「(氷見市内の)元スーパー店員」。(97年5月5日、富山よみうり)
(失踪当時はスーパー店員で、新聞報道時にはスーパーに籍がなかったということかもしれない)
■ B子さんの実家は氷見市小久米。(富山県民話財団様)
小久米は氷見市の西寄りの山あいの地域にある小集落。
A子さんも小久米の人であるとのネット情報(書き込み)はあるが、真偽は不明。
■ 二人は高校時代、氷見市内の県立高校で同級生だった。
■ 二人が家を出る際どういう言葉を家族に告げたのか、記事によってその表現に若干の違いがある。
「二人は県立高校の同級生。平成8年5月5日夜、軽乗用車1台で氷見市から魚津市に向かったまま行方不明になった。二人のうち一人は出掛ける直前、家族に”魚津のお化け屋敷に行く”と告げている」(2000年3月3日、北日本新聞 → 本社富山市)
「これまでの県警、氷見、魚津署の調べによると、二人は、昨年5月5日午後9時ごろ、家族に”魚津へ肝試しに行く”と告げて、B子さんの車で氷見市を出発した」(97年5月4日、富山よみうり)
とのことで、
「魚津のお化け屋敷へ・・・」
「魚津へ肝試しに・・・」
この二つの言葉が伝えられている。
二人のうちのどちらがどの言葉を言ったのか、
あるいは、二人のうちの一人(おそらくB子さん)がどちらか一方の言葉を言ったが、
それを別々の新聞社が別々の表現で報じたに過ぎないのか、
またあるいは、二人のうちの一人(おそらくB子さん)が両方の言葉を言ったのか、例えば、
B子さん「魚津のお化け屋敷に行ってくるね」
家族「え? 何しにそんなところへ?」
B子さん「だから、肝試しに行くの」
家族「こんな遅くに?」
B子さん「大丈夫だよ、一人じゃないし。A子ちゃんも一緒に行くし」
家族「わかった。じゃあ、気を付けて行ってね」
みたいな会話があったのかもしれないが、真相はわからない。
■ 富山よみうりには「B子さんの車で氷見市を出発した」とあるが、
氷見市小久米のB子さんの家から二人そろってB子さんの車に乗り出発したのか、
それとも二人は別々に家を出発し、氷見市内のどこかで待ち合わせ、
B子さんの車がA子さんを待ち合わせ場所で拾う形になったのか、
どちらであるかは不明。
(小久米から当夜の目的地だったと思われる坪野鉱泉、途中の目撃情報その他を記した大まかな全体図。小久米から坪野鉱泉までは直線距離でおよそ50km。「魚津に肝試しに・・・」と家族に言ったのは車を出したB子さんだという前提でこの図は作ってあります)
■ ネット上には、二人が一緒に肝試しに行くことになった経緯として次の文章が流布している。
「”坪野鉱泉へ肝試しに行く”と1996年5月5日、乗用車で家を出た氷見市に住む当時19歳の少女2名が行方不明になった。
県警などによると、行方不明になってい
氷見市内の会社員A子さんとスーパー店員のB子さんは新湊市の海洋丸パークで知り合った友達から、元ホテル坪野跡地が”肝だめしの場所”となっていることを知らされている。
これまでの調べで二人は事件当日以前にも一度、同ホテル跡を訪れ、不明となった日も同ホテル跡を目指していた。
その日、スーパー店員のB子さんは勤め先で懐中電灯の電池を購入。アルバイト店員に”今晩、肝だめしに行こう”と誘ったが、断られ、A子さんに電話している。
同日深夜、”今魚津市にいる”というメッセージを友人のポケットベルに送った二人。その後の足取りは何も分かっていない。」
ただ、「富山県民話財団」様によると、
「この文章を掲載しているサイトでは新聞記事からの抜粋とされているが、地元紙で上記の文章を載せた記事は存在しないため、恐らく先に紹介した97年5月4~5日の『富山よみうり』の記事に創作を混ぜたものである。」
とのことで、その「創作」部分は、上の文章中、
(富山よみうりの記事に載っていない)下線を引いた部分だ、とのことだった。
ただ、創作混じりかもしれないソース不明の文章ながらなかなかに具体的で、
仮にソースありとなれば重要な文章だと思ったので、
とりあえず参考ということで紹介させていただいた。
■ 二人が最終的に乗っていたとされる車はB子さん所有のもので、
車種はスバルのヴィヴィオ(95年式、色は黒、排気量660cc → 軽自動車)、
ナンバーは「富山50 そ 14-02」。
(スバルのヴィヴィオ”M300”、1995年モデルの一つ)
■ 二人は途中で、当時の新湊市(現・射水市))に位置する、地元の有名なナンパスポットであり恋人の聖地とも呼ばれる公園「海王丸パーク」に寄って友人と会っている。
「(二人は)B子さんの車で氷見市を出発した。途中、やはり若者のたまり場所となっている新湊市(現・射水市)の海王丸パークに立ち寄り、友人に会っている。」(97年5月4日、富山よみうり)
(二人がどのルートをとったかは不明ながら、グーグルマップ的には、小久米から海王丸パークへのルートと距離は上の図のようになった)
「海王丸パーク」のウィキペディア
一部ウィキから抜粋をしてみると、
”海王丸が現在展示されている富山県射水市海王町の公園で、伏木富山港の新湊地区(富山新港)内に建設され、1989年(平成元年)9月に退役した航海練習船海王丸の係留・展示施設として、1992年(平成4年)7月5日にオープンした。
冬季を除き、月1くらいで10回ほどボランティアによる総帆展帆(「そうはんてんぱん」帆を全て展げるイベント)並びに登檣礼が行われ、多くの観光客が集まる。
公園内並びに近隣は海王丸の展示を中心に、広場・飲食店・売店・研修施設などで構成されている。
近くにはバードパーク、「きっときと市場」などがあり、2012年(平成24年)9月に開通した新湊大橋と立山連峰を背景にしたパノラマは人気になっている。
海王丸や新湊大橋がライトアップされることもあり、恋人の聖地に認定されている。”
(1枚目、海王丸パークを上空から。2枚目、ストリートビューより、帆を下した状態の海王丸。ググると帆を上げた美しい姿も見ることができる)
二人が何を目的に海王丸パークに寄ったのか、
夜景を見に立ち寄ったのか、
それとも肝試しに行くには女二人では心もとなく、同行者を募ろうとしたのか、
また、海王丸パークへは何時に到着し、何時にそこを発ったのか、
そこで出会った友人との間にどのような会話があったのか、
そのあたりはすべて不明。
■ 二人が魚津方面に車を走らせていたのが確認されている。
「同日(1996年5月5日)午後10時過ぎ、二人が乗ったB子さんの車が、富山市と滑川市の市境の国道8号線を魚津へ向かって走っているのが、確認されている。」(97年5月4日、富山よみうり)
記事中、二人の乗った車が富山・滑川市境で「確認」されているとあるが、
ネットにはこの部分を「目撃」されているという風にしているものが多く、
「目撃」というからには「目撃者」がいたのかと思いソースを探してみたが、
探し方がまずいのか、それを見つけることができなかった。
魚津方面に走行するB子さんの車が、
Nシステムや道脇の防犯カメラなど、機械によって「確認」されていたのか、
それとも人間によって「目撃」されていたのか、
そのいずれだったかは(当方的には)不明。
(海王丸パークを発った後、二人が実際にどのルートをとったかは不明。ただ、96年当時は「新湊大橋」がまだ架橋されていなかったこと、また、二人の乗った車が富山・滑川市境の国道8号線上で「確認」されていることなどから、二人はいったん南下して国道8号線に出たということを前提に、富山・滑川市境までのルートを決めてみた)
(海王丸パーク周辺、現在のグーグル画像と、1997年10月1日—事件の約1年5か月後—の画像の比較。新湊大橋が開通したのは2012年9月のことだった)
(二人の乗った車が夜10時過ぎに「確認」されたという富山・滑川市境の国道8号線あたり、現在のグーグル画像と、1996年9月24日—事件の約140日後—の画像の比較。あまり大きな変化はないように見える)
■ 二人の最後の消息については以下の記事。
「二人は同日(1996年5月5日)深夜、ポケットベルで、”魚津市にいる”といううメッセージを友人に送った後、連絡が途絶えた。魚津市の山中には、”肝試しの場所”として週刊誌ても取り上げられ、暴走族らのたまり場とな
っている廃墟と化した元温泉旅館跡があり、二人はそこに向かっだ可能性が強い。」(97年5月4日、富山よみうり)
記事には「深夜、ポケットベルで」とある。
「深夜」とは何時ごろであるのか、
”肝試し”の前と後、いずれの時点で発信したのか、
またそのメッセージを魚津市内から発信したとして、魚津市のどこから発信したのか、
そのあたりを警察がどこまで把握しているのか、すべて不明。
(富山・滑川市境から坪野鉱泉までのルートと距離を現在のグーグルマップ的に。「魚津にいる」というメッセージが「深夜」に発せられたとあるが、「富山・滑川市境」から「滑川・魚津市境」まではその距離約7km、車で8分程度。二人の車が夜10時過ぎに「富山・滑川市境」で「確認」されたとすれば、その約8分後にはもう魚津市に入っていたと推測されるが・・・)
———-
■ 警察による捜査については、
「県警と氷見、魚津署は昨年(1996年)6月下旬と11月下旬の2回、魚津市内の国道8号線から同市坪野へ向かう道路を4コースに分け、それぞれ県警ヘリと山岳警備隊を動員、車が転落しそうな地点を徹底的に捜索した。
厳しい山道もあり、各ガケでは、谷底までロープを使って警察官が下りたりもしたが、何の手掛かりも得られなかった。
県警は、二人が載っていたB子さんの車が発見されないことなどから、谷底や湖、海などへの転落の可能性が強いと見ている。
しかし、二人が向かったとされる場所が暴走族らのたまり場となっていたことなどから、事件に巻き込まれた可能性も捨てきれないとして捜査、家族から家出人届を受けた氷見署では、これまで、二人の友達関係者や家に残っていた所持品を調べるとともに、十数人の男性の友達からも事情を聞くなどしている。(中略)しかし、有力情報は今のところない。」(97年5月5日、富山よみうり)
「県警と氷見、魚津署は、二人が事件に巻き込まれたか、海や谷底に転落した可能性があるとみて周辺を捜索。二人が旅館跡近くまで行ったことは確認できたが、それ以後の足取りはぷっつり途絶えている。
軽乗用車が県外に出た形跡はなく、車はいまだに見つかっていない。
(中略)あらためて(二人の)預金通帳やポケベルの通信記録、運転免 許証の更新状況など調べたが、痕跡は見つかっていない。」(2000年3月2日、北日本新聞)
とのことで、
皆目行方がつかめない状況。
———-
■ 空から見る坪野鉱泉の変遷
(参考程度に)
1961年7月21日・1966年8月20日
(坪野鉱泉の温泉宿としての歴史がどれくらい古いのかはよくわからない。水色の枠内には建物が二つ見えるが、民家だろうか? それとも、温泉旅館として営業していたのだろうか?)
1972年5月31日
(のちに廃墟として有名になる例のビルがすでに建っているように見える。
富山県民話財団様のサイトにおいて、
「1970年から1977年ごろずいぶんにぎわって、毎晩、フィリピン人や東南アジアの女性たちの”ポリネシアンショー”と称するイベントが催されていた。東南アジアからのジャパユキさんの巣窟だった。すぐ近くに北山鉱泉があるがそちらは、老舗で上品さを売りにしていたが、その反対の色気とインターナショナルな雰囲気を売りにしていた。」
という坪野鉱泉評の真偽が検討されているが、
内容の真偽はさておき、羽振りよくやり始めたころの画像ではないかと想像する。)
1975年10月1日(2枚目は敷地部分の拡大画像)
(何やら資材を搬入している様子がうかがえる)
1976年10月23日
(水色屋根の体育館風な建物が出現した。この温泉旅館はプール併設だったというので、水色屋根の下にはおそらくプール等があったのかと)
1983年5月11日
(諸説あるが、おおむね1982年頃の倒産というから、これはその後の姿。76年には存在した水色屋根が撤去され、その下の施設がむき出しになっているように見える。プールのようなものが見えているのではないだろうか)
1988年9月23日
(プール?のあたりがより鮮明に)
1993年9月20日
(草に覆われ、建物の一部が消滅している。すでに暴走族などのたまり場になって久しい)
1996年9月24日
(失踪事件の約140日後。当時すでに週刊誌などにも取り上げられる、地元では有名な廃墟だった)
2007年4月27日
2017年現在のグーグルマップより
ホテル坪野の経営者は倒産後、行方不明になった。
「約15年前に(ホテル坪野は)倒産。経営者は行方不明となり、90年11月、冨山市内の会社経営者が競売にかけられた同ホテル跡の土地と建物を約3500万円で落札した。」(97年5月5日、富山よみうり)
※ 5月14日追記: ホテル倒産と経営者の失踪について、ようつべ「チカモリ情報局」様の動画によると、ホテル坪野は1982年にオーナーが失踪し、それにより事実上の廃業となった、とのこと。
しかしせっかくの落札物件も、バブル崩壊で活用のめどは立たなくなった。
暴走族のたまり場と化した野ざらしの廃ホテルに地元住民からは提訴も辞さずとの声が上がり、
地元市議なども動く中で、ホテル跡所有者からは
「魚津市に寄付したい」
との申し入れがなされたが、
解体費用だけでも2500万円以上かかり、
市から「いや
です」と断られて頓挫している。
富山の山中に何年も建物放置だから荒れ果てるのは当然としても、
いわれているように暴走族その他による破壊行為など、
人的被害が甚だしかったのもまた確からしい。
「(ホテル坪野跡には)深夜に若者たちがたむろするようになり、窓ガラスは無残に割られ、落書きとガラスの破片で、室内も荒れ放題だ。週末ごとに暴走族が押し掛け、深夜、ビルの屋上に上り爆竹や花火を鳴らして騒ぎ立てるようになった。
車と猛スピードですれ違ってゆく彼らの車に、地元住民は恐怖感を募らせる。
このほか、自宅に止めていた車が盗まれた、元ホテル跡地にあったお宮が燃やされた、などの届け出さえある。」(97年5月5日、富山よみうり)
その他にも、
「ホテル跡地にバリケード 暴走、喧騒収まらず 魚津」(97年7月30日、読売新聞朝刊19面)
などといった物騒な見出しの記事もあり、
被害の深刻さがうかがえる。
(坪野関連の動画を見る限り、現在バリケードには穴があけられ、出入り自由になってしまっている)
2女性失踪事件の後のことながら、
2000年9月中旬の深夜、
富山県東部に住む当時16歳の女子高生が男らから
「肝試しに行こう」
と誘い出され、「魚津市坪野の山中」で—
多分に坪野鉱泉のことかと—レイプされるという事件も起きている。
(警察は余罪ありとみて厳しく追及したという。詳細は富山県民話財団様のサイトにて)
———-
■ まとめ
坪野鉱泉2女性失踪事件についてあれこれと情報を並べてみましたが、
果たして真相はどうだったのか・・・、
この点、考えてみると、
自発的な家出の線を除外するとすれば、可能性としては、
1.「暴走族による犯行」
2.「北朝鮮による犯行(拉致)」
3.「海やダム、湖沼、川、崖への転落事故」
やはりこのあたりが有力なのかなと。
1の暴走族云々については、
現に週末ごとにホテル跡地にたむろし、
騒ぐ・荒らすなどして問題になっていただけに現実味があり、
また2の、北陸~富山と北朝鮮による工作活動との関係に着目し、
北朝鮮による拉致事件であるとする説も捨てがたいものがあるかと。
(富山は北朝鮮によると思われる拉致未遂・拉致疑いのある失踪が多発している。そのあたりと坪野鉱泉との絡みについては、この事件を取り上げた先行サイトの方々に語り尽くされている感があるので、詳細はそれらのサイトにて確認いただければと)
1や2について疑問に思う点があるとすれば、
1については、暴走族による突発的な犯行で、車などの処理をそう完璧に行うものだろうかということ、
また、共犯の誰一人として口を割らず、そう何年も秘密を保持できるものだろうか、ということ、
2については、発生したのが96年と、拉致多発時代とは年代的に開きがあること、
また拉致の場合は車を完ぺきに処理するというよりは、
無人の車だけが海岸端に放置されているという(勝手な)イメージなので・・・
もちろんこうした疑問は絶対的なものではありえない、ということは言うまでもないのですが。
その一方で3の転落事故説は個人的に気になる説で、
特に2012年9月から行方不明になっていた島根県松江市の飲食店勤務、
柏木佐知子さん(当時26)が、その約3年後の2015年8月、
同市内・大橋川の水深約4mの川底に車ごと沈んでいるのが発見された水没事故、
(島根県警は、海底調査に実績のある外部の団体に依頼し、超音波で水中にある数センチの物体を立体的に識別できる高性能のソナーを用いて捜索し、発見に至ったとのこと)
またつい先日(4月22日)、
埼玉県の18歳男性4人が軽乗用車で心霊スポットに向かう途中、
フェンスを突き破って15mの崖下に転落し、
運転していた柏木海渡さん(18)が死亡し、
他の一人が重症、二人が軽傷を負ったという転落事故、
これらの事故から想起されるのは、
氷見市の2女性も当夜の往復路のどこかで道に迷って山奥に入り込み、
あるいは慣れない町でGSやコンビニを求めて川岸の暗い道を走らせ、
またあるいは、肝試し後の気分転換に初めて寄った海沿いのどこかで、
崖や川、湖沼、ダム、海などに車ごと転落してしまった可能性ではないかと。
警察も事故の可能性が濃厚とみて
国道8号線から坪野鉱泉に至るルートを4つに分け、
それぞれのルートを捜索して未発見に終わっているといいますが・・・。
できればこのあたりでもう一度、捜索地点を洗いなおし、
島根の柏木佐知子さん発見にも寄与したという高性能ソナーなども用いて
再捜索をすることに期待したいと思うのですが、
どんなもんでしょうか。