かなしみ お客様に近い会社でありたい。
宮沢賢治(1896~1933)
まず、生前に出された作品は『春と修羅』『注文の多い料理店』の二冊だけになります。
それも出版社を通さない自費出版です。あとは賢治の死後に発表されました。
出版社を通さないからこそ、賢治の言葉のままつたえられのです。意味がわからない所もあると思います。そういうときは自分なりに想像してほしいと思います。
ほんとうの幸いとはなにか。
銀河鉄道の夜より タイタニック(一部)
乗っていた船が氷山にぶつかり海に投げ出されてしまった。そこには救命用のボートがあったが、どう見ても海に投げ出された人たち全員は乗ることができない。
助けを求める人たちを押しのけて、子供をボートに乗せようとした。でも同じように必死になってボートに自分の子供を乗せようとしている親を見ていたら、他人を押しのけてまで助かろうとするのが、はたして本当の幸せなのだろうか?とも思うようになり、三人で海に浮かぶブイにしがみついていたら、いつの間にかこの列車に乗っていた。
銀河鉄道の夜 さそりの火(一部)
ある日、サソリが腹を空かせたイタチに追われて、必死に逃げた末に井戸の中に落ちてしまった。そのときサソリは自分が今まで小さな虫たちをたくさん殺してきたことを悔やみながら、神様にこう祈った。
『井戸の中でこんなふうに溺れ死んでしまうのだったらイタチに自分の身体を食べさせてあげればよかった。そうすればイタチも1日生き延びることができたはずだ。どうか神様、今までさんざん虫たちの命を奪ってきた私ですが、この次はまことの幸いのために私のからだをお使いください』
そしてサソリは神によって天に召され床の闇を照らすための星になった。
『僕はもうあのサソリのように、ほんとうのみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん やいてもかまわない』
クスコーブドリの伝記より
この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴ふくでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
つばさ
自分のことだけではなく、絶えず他人のことを思いやる気持ちを持つことが『善い行い』であり実践していけば、たとえ命が消えたとしても人は今よりも、もっとよい場所に行ける。永訣の朝(えいけつのあさ)という妹トシと死に別れる作品もそうです。
つまり、『悲しいときにこそ、みんなの幸せを思いやることが”善”であり、それは悲しみを乗り越えていくことにつながっていく』ということです。
大切な人を失ったからといって、悲しみにとどまっていては、先に進むことはできない。失ったものや過ぎ去ったことよりも、今、生きている人たちのことなんだ。
『私はあなたであり、あなたは私である』
よく書いていますが、自分が好きな言葉
『他人事ではない自分事』
他の人の悩みや苦しみを自分の事のように考える。
今は物質主義、拝金主義、さらに、自分の事しか考えない方が多くなってきています。人間のほんとうの幸せは、もっと違う別のところにあるのではないでしょうか。
このブログが、言葉が、みなさんの心に少しでも響いて頂けたら幸いです。
世界中のみんなが、
これらのことを実践していけば戦争もない素晴らしい理想郷になることでしょう。
これらのことを実践していけば戦争もない素晴らしい理想郷になることでしょう。
「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のおっかさんのために、
カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。」
ジョバンニはくちびるをかんで、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。
「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いていかなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決っしておまえはなくしてはいけない。」
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
灯台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんな、
おぼしめしです」
青年が祈るようにそう答えました。
銀河鉄道の夜はぜひ読んで頂きたい一冊てす。
あとは・・
長い詩ですが、是非一度は読んでいただきたい詩があります。
現代語訳は所々訳してあります。おこがましいのだが、時間が無い人の一助になれば。
永訣の朝(えいけつのあさ)
けふのうちに
(今日のうちに)
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
※( )内は妹の言葉、一般的には雨雪(みぞれ)取ってきてちょうだいだが、最後のけんじゃが賢治を指す解釈もあるそうです。
ただ私はその説に否定的です。
うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
( 雨雪 取ってきてちょうだいな )
青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
(青いじゅんさいの模様のついた)
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
(私を一生明るくするために)
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
( 雨雪 取ってきてちょうだいな )
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを
ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系(にそうけい)をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう
わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
(私は私で一人逝きます)
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ
この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ
(うまれで くるたて こんどは こたに わりやの ごとばかりで くるし
なあように うまれてくる)
なあように うまれてくる)
(生まれてくるにしても、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる)
※他人のために尽くしたい
おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
(どうかこれが兜率の天(仏教用語で天界の一つ)の食に変わって)
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
(私のすべての幸いを懸けて願う)
「兜卒天」とは「兜卒天浄土」のことで、弥勒菩薩の住まう世界のことです。
阿弥陀如来の住む「極楽浄土」
薬師如来の住む「瑠璃光浄土」
Ora Orade Shitori egumo だけなぜローマ字表記なのか。
文字では無く音として留めたかったからではないでしょうか。
あまりに辛い言葉で、その現実を受け入れたくないからローマ字にしたのではないか、と思います。(なんかこの気持ち・・わかる気がします)
と考えられますが人により解釈が異なるところだろうけど自分が思った、あるいは感じたことで自分なりに解釈してもいいのではないでしょうか。
また作中に あめゆじゅ とてちて けんじゃ と4度繰り返されているのは賢治自信がその言葉を何度も思い出す様を表していると思われます。(この作品は妹の死後に書かれたもの)
発せられた言葉は痛いでも辛いでも苦しいでもありがとうでも無くて雨雪を取ってきてほしいなでした。
それは妹が何もしてあげられないと悶々とする賢治に頼みごとをして、それを賢治が叶えることによって少しでもその後の悲しみを和らげたかった節があるのではないかと思います。
死に際に飲み物や食べ物を頼んで満足したように旅立った人たち。
もしかしたら親や兄弟の気持ちを考えてのことだったのかもしれない。
そうすることで少なからず救われた人がたくさんいるのもまた事実です。
看取るほうは何かできることがあってよかったと思えるのではないでしょうか。
すごく共感します
うまれで くるたて こんどは こたに わりやの ごとばかりで くるしまなあように うまれてくる
(生まれてくるにしても、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる)
話題のかなしみ情報
こんばんは〜。
朝晩、涼しくて過ごしやすくなってきましたね。
私はというと、ねる前にひたすらライブDVDを観てはドキドキしたりうっとりな日々を送ってます(*´꒳`*)
熱はちょっとした間なのかな?
どうなのかな?
なんて思いながら、盛り上がってカミングアウトして。正直、お友達の反応が少し怖くもありましたが。
実際、みんなびっくりしてて…Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
そりゃそうだよね…ずーっと一途だったし。まず、自分でもびっくりだもん。
この場だからこそ、自分の気持ちに正直に行きたいと思います。
嫌いになった訳ではないけど、きっと。
不器用なのかな…気持ちの分散が今は上手くいかなくて。
けど、ブロ友ちゃんたちも大切な存在なので。
しょうがないコだなぁ…と流してくれたら嬉しいな。
しばらくは、JUMPくんネタが多くなるかと思いますが温かく見守ってもらえたら有難き幸せ

甘い声に癒されてて。
勝手に、
好きになった曲♪をご紹介しちゃおっかなぁ。
好きな部分を一部ですが。
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ただ前へ / Hey!Sey!7
ただ前へ ただ前へ 僕ら歩いていこう
喜びもかなしみもやがて花となるでしょう~
目の前をふさいでいるのは壁じゃなくて扉なんだ
恐れないで 焦らないで
君だけの明日をその手で掴むのさ
ただ前へ ただ前へ 僕ら
歩いていこう

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見つめて歌いながら、圭人くんに向けてこの笑顔がたまりません♡
歌詞も素敵なんだけど、4人が歌ってる姿も良くって
声に酔ってしまう…*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* ੈ♡‧₊˚
今夜のVS嵐、楽しみぃ♡